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中島みゆきさんの「糸」という曲がある。

とても有名な曲だと思うのですが、とても素敵な曲でして。

歌詞を聞けばきくほど、美しさを味わえるといいますか。

♪縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は〜♪

この布がいろいろな事をするかもしれない。という歌詞です。

本当にそうです。

夫婦生活、パートナーシップ、人との関係において、もっといったら生き方においてかもしれません。この歌詞に本当に大事な事がつまっていると思うのです。

同じ糸でありながら、縦糸と横糸という全く違う性質のものが作り出す新しいもの。布。

同じ人間でありながら、全く違う男と女からうまれる夫婦。家族。

そこに新しいものが生まれる。

これは、事実だと思うのです。

同じものでありながら、違う性質を認め合い協力し合い助け合って何か成し遂げようとした時に新しい全く違った美しいものが生まれる。

 

しかし、自分と相手と違う事が大事であるはずなのに、自分は正しい相手は違う。もしくは自分が間違っていて相手が正しい。という判断をしてしまう。

相手がいて自分がいるという事実。自分がいて相手がいるという事実。

縦糸は縦糸のまま。横糸は横糸のまま。縦は横になる必要はなく、横は縦になる必要も無い。というよりなってはいけない。

そのままで。与えられた性質そのままで、生きていかなければいけない。だからこそ「布」が出来る。

その「布」は人を温められるかもしれない。傷をかばうかもしれない。その布を織りあり合えた糸に出会えた事を、人は仕合せと呼ぶのだそうです。

「相手と違う」これは、当たり前である。だからこそ新しいものがうまれる。

そのままで、ありのままで、認め合った時、受け入れ合った時、美しいものがうまれる。

 

そんなことをいっても…ねぇ…

それはきっと自分と他人は別であるという認識からくるのであろう。

もし自分と他人が一つであり同じ存在という認識が出来たならば、そんなことはおこらない。

自分と他人は違う。でも自分と他人は同じという話になっている。

ややこしくなってきた。

でも、これは視点が違うわけで。

 

身体を考えてみたら良いのだと思う。

右手と右足はまったく性質が違う。右手が右足になる必要は無い。というか、なり得ない。うらやむ必要も無い。なってはいけない。

しかし、大きな視点で見ればそれは、同じ一つの身体の一部であるということ。一つの身体を動かす為に、それぞれが同じ目的をもってそれぞれの働きをする。

部分という視点に立つ時、それぞれは違って見える。全体という視点に立つ時、それぞれは同じ一つのものであるように見える。

 

人間関係においてもそう。一人一人で見たら違う。でも大きな視点でみれば同じ生命によって生かされているわけです。

地域を日本を世界を地球を宇宙を、それらを構成する一人一人が、それぞれ与えられている働きを知り、していければみんなが喜び、幸せになれる。

と思うのです。

「糸」聴いてみて下さい。

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