彼方を立てれば此方が立たず

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「彼方を立てれば此方が立たず」という言葉があります。

生きていると、こんなことばかりだと思うのです。

あちらがいらなくて、こちらがいるんなら答えがはっきりしているけれども、どちらも必要なことも多いものです。

あちらとこちら、どちらを立てるか。

思い悩みます。

僕は、はっきりいって両方立てたい。

無理だと言われても、今は無理かもしれないけどいつか両方立つと信じていたい。

そのときは、どちらかを立てることをするかもしれない。

しかし、いつでも反対側を立てる気持ちでいたい。あちらを立てる為に、こちらを立てたい。

両方立って悪い事があるのか。

相反する二つの間にあるもの。もしくは相反する二つのもがあわさるとき、本当の答えが出てくると思っている。

時には、どちらかを諦めて、見ないようにして、無視して一つを立てることも必要かもしれない。

でも、もう一方は立っていない事を忘れないようにしたい。

一つが立つともう一方を忘れてしまう。

何かがうまくいくと、その影でうまくいかなかったことに目がいかなくなることがある。

うまくいったことといかなかったこと二つで一つ。

その想いを持ち続ければうまくいかなかったことも生きてくる。

生きて来た時、両方立った事にはならないか。

 

神に出来ないことはない。

神がこの世を創造されたのなら、出来ない事はないと思う。

 

今、この瞬間に僕が出来ない事はいっぱいある。

けれど、智恵を出して助けてもらって、大事な答えをみつけたい。

 

この世には二つの道がある。生きるか死ぬか。

死んだようで生きてること、生きているようにみえて死んでいることもあるかもしれない。

でも、結局生きるか死ぬかのどちらか。

ならば、生かす方を選びたい。

そして生かした時、死ぬということも生きてくるのではないか。

そこに「生と死」の生ではなくて、生と死をあわせた本当にある「生」がうまれるような気がする。

 

どんなにありえない考えも出来事も。生かしたい。

生かした時に、自分が生きる。相手が生きる。

 

周りにしたことが返ってくると昔教えられた。

生きたかったら生かそう。

 

生かそう、生かそう。

生かした時、自分が生かされる。

生かされたと知った時に、感じる事は感謝。

こんな僕が生かされている。と思える喜び。

 

自分だけで生きている時、苦しくなることがある。しかし、実は生かされていたんだと知る時とても心地よい。

自分が生きていながら、生かされよう。

生かされている自分、生きている自分。

どちらも立てよう。

そしたら、生かしてくれた相手と生かした相手も立つ。

 

彼方を立てて此方を立てよう。

 

 

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