カラダのこと

カラダというのは、その人の「すべて」を表しているように感じます。その人の経験、心、考え、生き方だけではなく、周りの環境すべては自分のカラダに対して影響を与え、カラダに現れています。

例えば・・

  • こころ − 落ち込んだ時は背はまるまり下を向きます。元気なときは背筋が伸びて前を向きます。心の姿はカラダのカタチとして現れます。
  • くせ  − 人がもつそれぞれのくせ、習慣は、日々の暮らし中で必要な部分は動きやすく、使わない部分は硬くなります。
  • たべもの − 今日は何を食べましたか?何が食べたいですか?その食べ物はあなたのカラダの一部になります。

 

もちろんこれら以外にも、いろいろなものがカラダに影響しています。

自分のカラダを知る事は、今の自分を知ること。そして、今後自分の人生を歩むために、とても大事なことだと思います。痛みがとれればそれでよい。そうではなく、その症状をきっかけに、自分自身も含め一人でも多くの人が笑顔で出来る限り心地よくを過ごしていけますように。

ダイエット事始め

僕がこの施術者の道に入るきっかけになった師匠がいます。

この師匠に初めて指導されたことは手技でも理論でもありません。

ダイエットでした。

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治癒の目的を持つ事でしっかり治す

また腰が痛くなった。そうならないためにもしっかり目的をもつことは大事です。

何かをするときに、必ず目的があります。

治癒ということでも同じです。治癒の目的は何か。

症状が辛ければ辛い程「この痛みがなくなればいい」と症状に目がいきやすくなります。

しかし、大事な事は辛い症状ではなく、症状がなくなった後です。そこに意識をむけることは、より心地よい生活に向かっていく一つの方法です。

 

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前提を崩すということ

何かを考える時、何かをする時、とにかく何かが動く時、前提というものがある。

その前提を元に考え、行動する。

新しい発見も、気づきも、今までにない考え方も実はどこかで教えられた、経験した元があるような気がする。

鉛筆という発明も、木を加工する技術。炭で字を書くという行為があったからで。

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自然治癒力を「高める」より「生かす」

自然治癒力という言葉がある。自然治癒力を高める。~をしたら自然治癒力が高まります。自然治癒力を高めて健康に。

こういった言葉を目にしますが、「自然治癒力」という言葉をもう少し深く考えてみる必要があると思います。ただ良いからやる、言われたからやる。ではあまりにも浅はかです。

自然治癒力という言葉を表面の意味だけでなく、大きな視野でとらえることで、病気などの症状への対処、健康に生きることへのきっかけになると思います。

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痛みの捉え方で「苦しみ」を「感謝」に変える

痛みからは誰もが解放されたいと願っています。

しかし、ただ痛みがとれればそれでいいのでしょうか。

つまり、痛みの本質、意味というものを考えてみる必要があると思うのです。

そして、本質を知れば、痛みのすべてが、「よくないこと」「避けるべきこと」ではないということがわかってくるはずです。

であれば、今すぐに痛みがとれる必要もなく、その痛みを味わい苦しみを感謝にかえていくことも出来るはずです。

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20年ぶりに手が動きました

脳出血後遺症、片麻痺、80代男性

「20年ぶりに手が動きました。」

昨日までの僕では、ここで調子に乗っていたことと思います。
自分ってすごい。なんて、うっかり間違っていたと思います。

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左半身のうずき

僕の左半身が最近うずいている。
それがここ数日きつくなってきた。

左というのは、陰陽でいうと陽であり、男女で言うならば男。

僕の原材料は、父と母でありまして。

つまり、僕の左半身のうずきは父のうずきということになるのであろうか。
僕の男性性というか。

ふと、思うと父親は若い頃やりたいことが出来なかったと話してくれたことがある。
2人のおじいちゃんも本当にやりたいことをやれたのかななんて思う。

聖書に、イエスキリストを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。とある。
仏典の方にも、ちゃんとした言葉は知りませんが、自分が悟れば九族(先祖四代、子孫四代、自分)が天に生まれると。

自分が本当に解放されたとき、家族は本当に解放されていくんだなと感じます。

今この僕の左のうずきは、何かとても大事なものを教えてくれているような気がするのです。

間質性膀胱炎

30代の女性。腰痛とのことで施術させていただいた。

聞くと、間質性膀胱炎という病気を持っているそうだ。症状としては、頻尿(昼夜を問わず尿の回数が多い)、尿意切迫感(急に尿意が起こり我慢できない感じ)、膀胱が縮まる、膀胱の痛みを主な症状とする病気。とのこと。

これは、原因不明の難病といわれ治療方法は無い。膀胱を広げるという手術もあるそうだが、根本治療ではない。

出来る事は、炎症を抑えたり、食事の制限を行うぐらいで治療法は見つかっていない。

 

そんなもの、マッサージでどうにかなるものなのか。だからといって、国家資格をいただいている医療従事者としてほっとくわけにはいかない。僕に出来る事は指圧をしながら話を聞くということ。

 

いろいろな話をしていると、ふとその方はお母さんの話をされた。

「尊敬はいっぱいできるけれど…好きなところはあるけれど…」という感じ「けれど」というのが引っかかっていた。両親には感謝しないといけないと頭ではわかりつつもどこかひっかかってしまう。どこが嫌なんですかと聞くと、「私も出来てないから言えないけれど、自分が出来てないのに、いろいろ言ってくるところかなぁ、片付けとか身の回りのこととか」と。

彼女は、インテリアの仕事、身の回りを整える仕事をしている。

ふと感じる事がありましたので「その身の回りが出来ていないお母さんのおかげで、今の仕事が出来てるのではないのですか?お母さんのおかげでインテリアという、どうやって生活を豊かにするかという勉強をさせてもらったのではないですか?」と。

お父さんは真逆でほとんど関心がないとのことで、一緒にいると楽。そんなお父さんが理想の男性になるぐらい好きである。

でも干渉しすぎるお母さんがいるからその反対のお父さんが好きなだけで、本当は本音で話したい。お父さんと関わりをもちたかったということに気づかれました。

 

「お父さんもお母さんもひとときも忘れる事がなく、本当は愛して愛して愛しまくっていた。言葉がきつくなったり、放任という形は、間違って受け取ってしまっていただけで、両親の精一杯の愛情の表現だったのでは?」と伝えました。

彼女から涙があふれ、しまいには笑っておりました。泣いてるのだか笑っているのだか。

聞くと、「結婚はしたい、子供は欲しい。けれど、両親と同じになってしまうのではないかと怖かった。。」そんな話もされました。

でも、もう終わり。昨日できた闇も百万年前からある闇でも光を照らせば消えます。することは蓋をあけること。そしてそれはした。

 

闇。光の無い状態。明るくない。不明。

つまり原因は不明だったわけです。闇と病みは同じ語源だそうで。病気の原因は闇。つまりどこかに蓋をしてしまった結果なのではないか。

どこか勘違いして、両親の愛情に蓋をしてしまっていた。闇が出来てしまった。どこか愛されていないと思ってしまった。

でも、蓋が開いた。闇に光が射し、涙と笑いと共に勘違いの悲しみは流れ去り消えてしまったわけです。

そういえばとおもって「腰痛どうですか?」と聞くと 「忘れてた」という話でして。

 

水分というのは涙から印象するように悲しみを象徴するそうである。

膀胱というのは尿(水分)を溜めるところである。膀胱には尿管といって腎臓から尿を送る管が二本つながっている。

父と母から流れてきた二つの悲しみに絶えられなくなり、膀胱(彼女)は小さくなり、痛み、抱えきれない悲しみをすぐ出し(頻尿)ていたのではないかなぁと思うわけです。

「肉体は心の影」

おかしいと思われても僕は信じます。彼女の涙は本物だと思う。本当に心から癒された涙だと思う。

 

後日談(後数時間談笑)として、間質性膀胱炎の症状はまさに僕が抱えている悩みでありました。そして、ふと思うと僕の母はうるさいぐらいの教育ママ。父は仕事一筋の何も言わない人だったわけだったのです。

つまり彼女の姿は僕の姿だったわけです。僕も両親から愛されていた。両親から愛されていない人なんていない。ただ勘違いしてしまうんですよ。思い込みというやつで。ほんとに困ったもんです。

うつし世。鏡の世界。環境は心の影。自分と他人は一つ。

よくいったものです。

この世界は本当に面白い。

感謝と喜びしかない。

背部の痛み

30代女性。背部の痛み。施術を通して自分でも驚く事をしゃべっておりました。

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子供のイヤイヤ期

子供は二歳前後になるとイヤイヤ期というのが到来するそうだ。イヤイヤ期だから仕方ない、こういう時期なのだ、これもよい思い出と諦めていいのだろうか。

果たしてそうなのか。

妻と話して考えたことを伝えたい。

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