一期一会

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一期一会という言葉があります。
今日はその言葉の深さが少しわかった気がします。

人との出会いというものがあります。
この出会いが一回きりで、次はないとしたら、どうその人と接するか。
失敗出来ないとしたら、どうするか。

不安とか怖いとか、こんなこと言ったら、やったら、どうなるだろうか。迷惑だろうか。
そんなの考えてる余地はないんだなと。
いいと思ったこと、感じたことをするだけなんだと。失敗したらその場で出来る限りの修正をするだけ。その失敗と思ったことを生かしていくだけ。生かされないことなんてないはずです。

この一回の出会いの中で、どれだけいいと感じたことをするか。自分に正直なれるか。
僕は、この指圧、整体という仕事をしていて今までで一番体位を変えてもらい、起きあがってもらい、寝てもらいました。

訓練なら、訓練すると決めて動く覚悟があります。
指圧を受けるなら寝ていたらいいという安心感があります。
人の想いとしては、動くなら動く、寝るなら寝る。表面の気持ちは、そのままがいいはずです。
だから、僕は、整体の仕事の中で、動く寝るは一回、多くても二回ぐらいでした。
変えるということは、必要だとわかっていても人がしたくないことだと思ってましたから。

安定を求め、変わらない事を安心とするのが人ではないでしょうか。でも、生きることは不安定なんです。常に変わることなんです。不安定と安定をいったりきたりしながら生きている。

今回は、リラックスしたころで起きてくださいといい、身体が動こうと始めた頃に、寝てくださいと伝えていました。

僕に技術や経験があれば、ごちゃごちゃといろいろとせずに、少ない動きで出来るかもしれない。

でも、今の僕には出来なかった。
だから沢山動いてもらいました。

本当にその人に必要なことはなんなのか。今、楽でいることなのか、今後楽になっていくことなのか。

僕はその方には、今後がとても大事だと感じたようです。ですから、終わった後、その方に痛みも違和感もきっと残っていたはずです。大して体の症状は変わっていない気もします。

でも、何かを伝えたかったのかもしれません。

人生の大先輩を前にして、僕の倍以上の時間、身体に向き合って、使ってこられた方を前にして、頭で考えていたら怖くて言い出せないことを指示し、言葉にしていました。

紹介してくださった方の顔もあります。
僕は、この方との出会いを本当に生かさないといけないと思えました。

 

本当はでも、一瞬一瞬がそうであるはずです。
人との出会いはもちろん、その相手が物であってもです。

目の前でペットボトルを落とした人がいる。それを拾ってあげるか、無視するか。
地図を広げて道に迷っている人がいる。声をかけるかかけないか。

本当は、何をすべきかなんてみんな知ってる。面倒くさいだけな気がします。いい理由をつけて自分を納得させてるだけのような気がします。見ないようにしてるだけのような気がします。

みんな必ず心のどこかに愛があるはずです。

アンパンマンは君っさ〜
そして、アンパンマンの友達は愛と勇気だけなんです。

それしかないはずなんです。

余計なものはいらない。

ただ愛と勇気だけを友達とする。
その愛と勇気の声をどれだけ聞いてあげられるか。

本当にすべきことは自分の奥底は知っているはずです。

もし、命が今日終わるとしても、50年続くとしても、この大事な声が聞こえないふりをしてはいけない。
もし、聞こえた声が行動に移せなくても言い訳をしてはいけない気がする。

「神の国と神の義をまず求めなさい」というのが聖書にあります。一番の掟です。
この事なのではないかと思うのです。

神の国は愛の国です。
神の義は愛の義です。

心の底にある愛の国と義を求め続けること。必ずある。

そう信じて丁寧に生きること。
何より大事なことのように思います。

イエスキリストが言ってるのですから、まぁ従った方が良さそうです。

でも、出来ないんです。その出来ないということにどう向き合っていくか。
その事が、それ自体が「求めている」ことになるはずです。
求めたら与えられるのが、愛の法則です。

本当に大事なものを大切に少しでも生きていきたいと思った帰り道。

熱いこの気持ちを言葉にしたかったのです。

 

振り返ると今日の始まりも素敵で楽しい出会いだった。
その出会いがあったから、良い仕事に出会えた。
そして、いいBarに出会えた。

すべては目に見えないところでつながっていて一つ。

一つと気づいたとき、そこに愛がある。

今日はとても心地がよいのです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

深謝

 

 

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