戦争反対という言葉を聞いて感じたこと

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自転車で走っていたら遠くから「戦争反対」という声が聞こえてきた。

僕は、自転車に乗りながらその時の音、風景から、いろいろな考えを思いめぐらすことが多い。

そして今回はこの「戦争反対」という言葉。

 

戦争。戦って争う。

まず思いつくことは、国と国との争いごとだろうか。

国を隔てなくても、国内で、学校、職場、家庭…いろんなところで戦争とは言わないまでも争いごとがある。

その争いを人は解決しようと頑張る。平和を求めて訴える。

 

今僕が出来る事はなんだろうか。

やはり、自分か。

自分の行動と想いが争っていないか。

心と体がバラバラになってないか。

二つの考えが喧嘩してないか。争っていないだろうか。

やりたいことをやっているのに、体が悲鳴をあげていないだろうか。

自分の中に争いはないか。仲良くやっているか。

 

僕は、そこから始めることが大事だと思っている。

というより、24時間一緒にいる自分と仲良くできなくて、自分と一緒にいる体や心と仲良くできなくて、妻と、夫と、子供と、親と、家族と仲良く出来るだろうか。

家族が仲良く出来なくて、学校で、職場で、仲良く出来るだろうか。

そして、社会、地域、国と仲良く、そして世界と。。。

 

僕は、まず自分から始める事が大事だと信じている。

自分を知るということ。

自分を知る。

 

この言葉の本質をどれだけ知る事ができるか、理解出来るか。

そして、自分を知るということを身につけられるか。

 

そんなことやってられないよ。それよりも大事な事があるって言われてしまうかもしれない。

でも、僕は思う。

本当に自分を知ることより大事な事があるのか。解決しなければいけないことがあるのか。と思う。

 

ある場所に行こうとしたとき、まず知らないといけないのは自分の場所。

方向性は大事。行動も大事。でも、自分の場所を知るのはもっと大事。

 

例えば、東京にいる人間と福岡にいる人間。同じ大阪に向かおうと思った時、向かうべき方向は逆である。

まったく違う方向へ進まないといけない。

今はどんなに遠くたって話ができる。言い合いができる。

お互いが自分の場所を知らずに、大阪に行くのに、東へいくんだ、西へいくんだって言い争っても意味がない。

お互い正しい。お互いの意見から、「あ、そうか」と「自分らは違う場所にいるのか」と知ることも大事だろう。

 

自分を知るという事。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」

イエスキリストも言っております。

大前提は自身を愛する事。

そして、隣人を。隣人とは誰か。

 

 

愛するとは何か。一体を感じる心。

 

自分と向き合うなんて言葉があったりするけれど、自分と向き合う必要があるほど、自分というものがわかれてしまっている。バラバラになってしまっている。

でも、だからこそ自分を知れる。

でも、やっぱりバラバラは辛い。

 

人は一つを感じた時、喜びを感じる。愛を感じる。辛さも感じるけれど。

でも、それが愛なのではないかな。

 

まず自分を一つとして、自分という全体を見る事ができるか。愛する事ができるか。

まず自分との戦争を終わらせようと思う。

 

 

 

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